パラリンピックが身近に・・・私達親子を変えた魔法言葉
小4の時サッカーの試合を観戦した際に、一人の車椅子の男性と知り合いました。
「僕ね、テニスやっているんだよ、良かったら今度見学においで」
と声をかけられ千葉県柏市にある財団法人吉田テニススクールにおじゃましました。
そこは元世界テニスプレイヤーの沢松和子さんとご主人の吉田さんが運営されているテニススクールで、
「毎年12月にここで車椅子テニスの日本一を決める大会が行われている」
と知らされました。
そこで目を疑いました。
車椅子を片手でこぎながら、もう一方の手でラケットを持ち、豪快に打ち返しているのです。
声をかけてくださった方は元パラリンピックの選手でした。
レベルの高いその技術は、車椅子の選手が打ったボールを健常者が追えないほどでした。
見学をしていた私達親子に「義雄もやるか?」と吉田理事長さんが声をかけてくれました。
私達親子は驚き、「とても無理です」と笑顔で答えると、厳しい声で
「何でやらないうちから出来ないと決め付けるんだ。やってみなきゃやれるか、やれないかはわからないだろう」
と言われ、頭を殴られてような思いになりました。
続いて穏やかな声で
「ここにいる選手たちは皆、事故や病気で絶望の中から這い上がってきた人ばかりなんだよ。落ち込むだけじゃない。現実を受け止めて、いつも今出来ることに最大の力を発揮しようと一生懸命なんだよ。パラリンピックはそういう人たちの集まりなんだよ」
とおっしゃいました。
「義雄にいい言葉をひとつ贈ろう。

まず挑戦する。結果を出す。
この言葉から私達親子の方向性は大きく変わりました。
テニスを始めて1年が経過した頃には、ボールを打ち返せるまでに成長しました。
先輩たちは自分で運転し、コートの手続きから用意、ボール拾いまで全て行います。
「障がいがあるから」と人の助けに頼る社会ではありませんでした。
息子とほぼ同時期にテニスを始めたもう一人の少年は、今や日本初のプロと言われ、パラリンピック金メダリストの国枝慎吾さんです。
彼は努力家で最初から何かが違っていました。
その後、息子は障がい者乗馬、車椅子バスケット、車椅子マラソン、陸上短距離といろいろなものに挑戦しました。
陸上は高校の時100m走で金メダル(県大会)を取ることができました。
今は電動車椅子サッカーにこっていて、「関東大会で優勝する」と言ってはりきっております。
息子は
障がい者にとってスポーツは特別なもの。
生きていく上での生きがいになる。
どんな障がいを持った人だって参加出来るスポーツはある。
ただそこに辿りつけないだけ。
言葉が無くても、心と身体は存在しているのだから、感動が得られる。
だけど大人が気づいてくれなきゃ一人では何も始められないんだよ。
と言います。
子どもたちは、絶えず新しい世界に挑戦したい心をもっているはず。
「挑戦して1つでも出来ることを増やすのが生きがいにつながるんだ」
と私は感じています。
自分で意思を告げられない障がい者にとって、その機会を増やすも減らすもその責任は私達大人にある、と実感します。
挑戦する機会を是非与えてあげてほしいと思います。 |