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我が子の誕生と成長
荒木愛深
荒木 愛深(あらきまなみ)(五感タッチング親子アカデミー校長)

切迫早産の危機

妊娠が分かりその後は特に、問題も無く順調に経過しておりました。

 5ヶ月後半のある日、スーパーに買い物に出かけた先で、下腹部に痛みを感じしゃがみこんでしまいました。

陣痛でした。

「今産まれたら確実に助からない」という判断から3週間の入院生活になりました。

 出産は人気のある公立の産婦人科に予約し通院しておりましたが、この入院は出先でのハプニングでしたので、救急車で、自宅近くの総合病院に運ばれ早産の危機を乗り越えることができました。

退院時「早産の可能性がある」と言われ注意しておりましたが、出産予約の産院では、早産の可能性は全く見当たらず、「随分、楽したね」と言われたのです。

しかし7ヶ月に入り検診の日、腹痛があり歩くのがやっとの思いで病院へ向かい、入院を希望しましたが部屋の空きがなく帰されました。

夜中も痛みは楽にならず、一睡もしないまま朝を迎えました。
トイレに入ると便器が真っ赤に染まっておりました。

すぐに支度し、病院へかけつけました。

最初は陣痛抑制剤を投与されましたが、10時間後産道が開いてきてしまったため、陣痛促進剤に切り替え投与されました。

点滴でおこす陣痛は何ともいえない苦しみでした。

赤ちゃんの心配に加え、苦しくつらかったのを覚えております。

我が子との対面

  出産6日後、両親と祖父母限定で対面させてもらえました。

 我が子はとても小さく(1,060g、44センチ)保育器の中で、たくさんの医療器具がつけられ痛々しい状態でした。

 私にできることは母乳をしぼり冷凍して届け続けることだけでした。

 後に、担当医師から

「命が助かっても多大な障がいが残るかと思います。視聴覚は諦めて頂くことになるかも知れませんので、一応覚悟しておいて下さい」

と告げられました。

テレビで見るような出産シーンを描いていた私は出産の嬉しさよりも只々心配で日々過ごしました。

自宅に戻ってきたのは4ヶ月近く経過してからでした。

退院時は心配していた障がいも大丈夫そうです。

「はじめは少し遅れを感じますが徐々に追いつき2歳には笑い話ですよ」

と言われ心配が一気に吹き飛び喜びに満ちていました。

発達に疑問が・・・

 1ヶ月を過ぎたあたりから体の動きに違和感を感じるようになり、大学病院の小児科や育児相談などを受診しました。

結果は問題なし。

 保育士をしていた私は同僚に抱いてもらい率直な意見を求めました。

 同僚たちも「体が固く抱いててもフィット感がない」と違和感を感じたようです。

 7ヶ月に入った頃、我が子は突発性発疹で入院しました。

 それをきっかけにもう一度相談すると

 「月に一度、県の障がいリハビリセンターから専門の先生が見えるので受信してから退院しようか。問題ないと思うけれど、お母さんもだいぶ神経質になっているようだからその方が安心でしょう」

と言って下さり、喜んで受診をお願いしました。

診断を下された日

  県の医療機関から派遣されてくる小児神経の先生の診察。

 「この先生に大丈夫と言われたら安心しよう。障がい探しは止めよう」

 と心に誓っておりました。

 自分が気になっている部分を診断してほしい気持ちと否定してほしい気持ちが絡まり複雑な心境でした。

 先生は子どもに触れ、仰向け・うつ伏せを繰り返しながら笑顔で

「お母さん、よく気がつきましたね。気になったのはいつ頃からですか?」
「再度、県のリハビリセンターで詳しい検査と身体機能のリハビリをしていきましょう」

と言われ、カルテにCPの疑いと記入しました。

 保育士をしていた私は、CPが脳性小児麻痺であるとすぐに気がつきましたが、病棟に戻って看護婦さんに何気なく質問すると、同じ答えが返ってきました。

 私は心の底から驚きました。

 思わずベットサイドのカーテンを閉じ、子どもを抱きしめていました。

  出産時「どんな障がいがあっても受け入れて頑張る」と心に決めていたし、「助けていただいた命だから」と思い、「障がいの事実のことで嘆いてはいけない」と思いました。

成長とともに

体重の増加に伴い、障がいもはっきりしてきました。

首の据わりや座位の不安定は顕著で、手を握るような原始反射10ヶ月位までありました。
  脳波にもスパイクがみられ、喘息の症状も出現、その為抗痙攣剤や気管支拡張剤など、たくさんの薬を服用しておりました。

薬の副作用がこんなところにも

 同じ障がいを持つお子さんが3歳で亡くなりました。

 火葬が終わり骨が運ばれてきた時、絶句しました。

 台の上にはほとんど骨がありません。

 皆がざわめくと係りの方が「お子様は抗痙攣剤等のお薬を飲まれていましたか?」と。

 「はい」の声に「その場合は骨がもろくなる場合が多く、大人の方でも原型が崩れてしまう場合が多いのです」と答えられました。

 ショックでした。

NHKの番組で

 その頃、NHKの新生児特集があり、海外の出産シーンや大学での研究などが発表されておりましたが、その中で

「新生児期に保育器など親と長期間離れていたような場合は、外とのコミュニケーション能力に欠ける場合が多い」

という説明がありショックを受けました。

 「五感が乏しくなる」という説でした。

 確かに話しかけても反応が遅く、手招きで位置を知らせても注視したり、追視したりするのが苦手でした。

 命に関わる医療処置とは言え、保育器の生活がこんなことにまで影響してくるとは意外でした。

 これについては聖徳大学での鈴木昭平先生の講義の中でもとりあげられ、再度実感しました。

五感育ては、脳育て!(五感は育むもの)

 五感は、感覚器で脳の働きに直結しています。

 つまり、「五感に刺激を与える」ということは「脳に刺激を与えている」とも言えます。

 感覚統合障がいは、五感刺激が関与しています。

 五感刺激は、コミュニケーション作りに最適です。

 我が家の場合は、保育器の中で過ごした期間が長いので、コミュニケーションが少なかったので退院時から、五感のそれぞれの概念に沿って、刺激を与えていくことを心がけておりました。

 MRIの検査を受けたところ、医師の先生からは

「運動神経の部分が真っ白で運動機能はかなり困難」

 と言われましたが、五感刺激は有効でした。

 「身体が十分に動かずとも心は十分に動いている」という感じで生活の中では笑顔が多い子でした。

 勿論リハビリや指圧、民間療法も平行しましたが、五感刺激は夢を持つ気持ちや新たな事へ挑戦する頼もしい心を育てました。

 振り返り強く感じることは

「五感は、育てることで(意識して刺激することで)力になる」

 ということです。

 つまり五感への刺激にしても無意識的な場合と意識的な場合では、成長に大きな差があり、五感は育むものなのです。

また幼い頃から身についた五感力は大人になってからもコミュニケーション能力として発揮され、豊かな人間関係を築き上げていくことができます。

パラリンピックが身近に・・・私達親子を変えた魔法言葉

  小4の時サッカーの試合を観戦した際に、一人の車椅子の男性と知り合いました。

「僕ね、テニスやっているんだよ、良かったら今度見学においで」
と声をかけられ千葉県柏市にある財団法人吉田テニススクールにおじゃましました。

 そこは元世界テニスプレイヤーの沢松和子さんとご主人の吉田さんが運営されているテニススクールで、

「毎年12月にここで車椅子テニスの日本一を決める大会が行われている」

と知らされました。

 そこで目を疑いました。

 車椅子を片手でこぎながら、もう一方の手でラケットを持ち、豪快に打ち返しているのです。

 声をかけてくださった方は元パラリンピックの選手でした。

 レベルの高いその技術は、車椅子の選手が打ったボールを健常者が追えないほどでした。

 見学をしていた私達親子に「義雄もやるか?」と吉田理事長さんが声をかけてくれました。

 私達親子は驚き、「とても無理です」と笑顔で答えると、厳しい声で

「何でやらないうちから出来ないと決め付けるんだ。やってみなきゃやれるか、やれないかはわからないだろう」

 と言われ、頭を殴られてような思いになりました。

 続いて穏やかな声で

 「ここにいる選手たちは皆、事故や病気で絶望の中から這い上がってきた人ばかりなんだよ。落ち込むだけじゃない。現実を受け止めて、いつも今出来ることに最大の力を発揮しようと一生懸命なんだよ。パラリンピックはそういう人たちの集まりなんだよ」

とおっしゃいました。

「義雄にいい言葉をひとつ贈ろう。
あなたの持つ最大の力を発揮しなさい。

  まず挑戦する。結果を出す。

 この言葉から私達親子の方向性は大きく変わりました。

 テニスを始めて1年が経過した頃には、ボールを打ち返せるまでに成長しました。

 先輩たちは自分で運転し、コートの手続きから用意、ボール拾いまで全て行います。

 「障がいがあるから」と人の助けに頼る社会ではありませんでした。

 息子とほぼ同時期にテニスを始めたもう一人の少年は、今や日本初のプロと言われ、パラリンピック金メダリストの国枝慎吾さんです。

 彼は努力家で最初から何かが違っていました。

 その後、息子は障がい者乗馬、車椅子バスケット、車椅子マラソン、陸上短距離といろいろなものに挑戦しました。

 陸上は高校の時100m走で金メダル(県大会)を取ることができました。
今は電動車椅子サッカーにこっていて、「関東大会で優勝する」と言ってはりきっております。

  息子は

障がい者にとってスポーツは特別なもの。
生きていく上での生きがいになる。
どんな障がいを持った人だって参加出来るスポーツはある。
ただそこに辿りつけないだけ。
言葉が無くても、心と身体は存在しているのだから、感動が得られる。
だけど大人が気づいてくれなきゃ一人では何も始められないんだよ。

と言います。

 子どもたちは、絶えず新しい世界に挑戦したい心をもっているはず。

 「挑戦して1つでも出来ることを増やすのが生きがいにつながるんだ」
と私は感じています。

 自分で意思を告げられない障がい者にとって、その機会を増やすも減らすもその責任は私達大人にある、と実感します。

 挑戦する機会を是非与えてあげてほしいと思います。

幼い頃からの夢が叶う!

  中学校の1学年の頃から息子は

「北欧へ留学してみたいな。福祉が進んでいるんだよ。そして北欧の障がい者は時間の使い方が上手なんだって。何が違うんだろう」

 と言っていました。

 中学で手話部に入った息子は年々その思いが募っていきました。

 養護学校(現:特別支援学校)の高等部に入学した最初の進学相談のとき、卒業後の希望を聞かれ、北欧への留学希望の話をしました。

 しかし職員の反応は支援するというよりは、「現実性が無く親子して困ったものだ」といったものでした。

 英語も話せない。
 
  ましてスウェーデン語やデンマーク語なんて程遠く、気持ちはあっても「どうやって過ごすのか? 行ったことが何になるのか」ということです。

 私は吉田(前出の財団法人吉田テニススクールの吉田さん)理論から言うと

何になるかは行ってみなけりゃわからない!

というところでしたので、息子の夢を温めていました。

そして2008年、サイパンに会社を設立し自らもモデルなどで活躍している23歳の女性社長から

「その夢をかなえるお手伝いさせて下さい」

と声が掛かり、見事にデンマークのエグモントホイスコーレン福祉留学することができました!

「夢は追い続けることでかなう」

を痛感しました。

出発にそなえ、英語の家庭教師をボランティアで支援してくれる方がありました。とてもユーモラスな方で独特な教え方をします。

中学時代、「自分には英語は関係ない、出来ない」と思い込んでいた息子がどんどん習得していきます。
これにはびっくりでした。

学ぶことの楽しさを知る・・・個人の可能性の引き出し

  英語を理解する力がなかったのではありません。

 興味を持つことができなかったのでしょう。

 それは、英語に限らずほかの科目でも言えることです。

 息子は、留学中様々な国から生徒が集まっているので言葉の壁は大きかったようですが、インスピレーションで、「この人と友達になりたい」と思うと互いに接点を見つけ出し、言葉が通じなくとも笑顔をかわし、ハグし合ったりしてすぐ仲良くなれたそうです。

 その効果でしょう。
帰国後は、様々な国に友達ができたので、ニュースを見ても世界情勢への関心度が変わったように思います。

 学習とはデスクのみに非ず!です。

 エグモントはフリースクールで健常者と障がい者とが共同で生活しています。

知的障がいの方たちも入校しております。

 でも日本でこの素敵な学校の存在、情報は一部の人にしか伝わっていないのが残念です。

 聖徳で鈴木昭平先生に「息子は歴史が好きです」とお話しましたら「歴史のおもしろい高速学習があるよ」と情報をくださいました。

 私自身が実行してみるとおもしろいくらいに頭に記憶されていきます。

若い息子はなおのこと。

 「なるほど、歴史も覚え方、学習の仕方次第なんだな」と実感です。

 ある時息子が言いました。
  ○○ちゃんはね、何も話さないんだよ(言語がない)
  勉強もあまりしないんだよ。
  だけどね、何でも知ってるんだよ。
  だって間違ったら「違うよ」って顔して見てるし、当たっていると「そうそう」って顔してるもの。

 子どもたちには、お互いの可能性が解りあえているようです。

過去の職歴経験から

  私は、指圧師として治療院を開院しておりました。

 それ以前は、保育園、幼稚園、小学校、中学校と勤務し、障がい児教育にも携わっておりました。

 また高校生、大学生とは野球のトレーニング指導を通して関わってまいりました。

 中学に勤務していた時、先輩の先生に「この子達は言語がなくても毎日私に語りかけてきます。先生に3ヶ月たっても語りかけてこなかったり、理解できなかったら向いてないと思ったほうがいいよ」と言われました。

 焦りを覚えた一言でしたが、一緒に過ごしていると本当によく語りかけてきます。

 朝、駅で「先生のかばんを学校まで持っていってあげる」と私に言ってくれる生徒まで現れ、その気持ちがかわいく毎日充実していました。

 言葉が理解できていない女の子にカードを作り、日々繰り返し・・・。
  するとその子は五十音順を全てマスターし、読み書きができるようになりました。

 その子のおかあさんは、私に感謝してきました。

 その子は以前は学校から帰ってきてお母さんがいないと、心配でパニックになってしまう状態でした。
  しかし私の指導によって、手紙を残して出掛けることができるようになったそうです。
  その子は今では、おやつを指定した場所から出して食べながら留守番してくれるようになったそうです。

 一つの学習の習得は生活の流れを変えることができます。

 これは我が家でもたくさん体験してきました。

エジソン・アインシュタインスクール協会は、知的障がい児の可能性を広げるお手伝い

  私が信頼する鈴木昭平先生が凄いスクールを立ち上げました。

 我が子の社会の例から見ても楽しみな学習法です。

 子供にストレスを与えたり義務感で学習させるのではなく、本能で楽しみながら習得していくことが出来ます。

 また非常に多くの実例をお持ちです。

 先生の出現によって救われるのはお子様はもちろんのことご両親です。

 子どもが何かを習得できることほど親として嬉しいことはないからです。

 一人でも多くの障がい児が、このスクールでたくさんの可能性に挑戦し、広げ、我が家と同じようにデンマークへ留学し、夢のような学校生活を体験してもらえたら、こんなにうれしいことはありません。

 この素晴らしいスクールを、一人でも多くの方々に紹介し、子供たちの可能性を最大に引き伸ばして将来に夢をあげたい。

 その想いから鈴木先生の講演会を2009年10月9日(金)に船橋にて企画させて頂きました。

荒木愛深プロフィール
(五感タッチング親子アカデミー代表・健康科学博士)


聖徳学園短期大学保育科卒業後、幼稚園・保育園・中学の障がい児学級等に勤務する。
息子が身体障がいを持って生まれてきたことを期に、心身を癒す様々な技法の研究に没頭。
浪越学園日本指圧専門学校卒・国家資格を取得後、指圧治療院を開院。
またスポーツ医学を学び小学生から社会人のベースボールトレーナーとして指導にあたる。

親子のコミュニケーショントレーニングや赤ちゃんの健康体操を考案。
インド式ベビーマッサージ、ベビー指圧などの普及・指導にあたる。
乳幼児及びスポーツアスリートのパフォーマンスを研究。健康科学博士号を取得。
オリエンタルランド イクスピアリ(現在閉園)にて7年間ベビーケア、妊産婦ケアの講師を務める。

2009年、エジソン・アインシュタインスクール協会の活動に深く感銘・共鳴し、現在同協会の講師・相談員として活躍。

また五感刺激による子どもの健全な成長を促す五感タッチング親子アカデミーの代表を務めている。

資格:保育士、幼稚園教諭2級、あんま・マッサージ・指圧師、アーユルヴェーダオイルセラピスト 、PNFコンディショニングトレーナー、障がい者スポーツ指導員、日本体育協会公認スポーツリーダー、妊産婦中医養生指導士、福祉住環境コーディネーター他多数。

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